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思念成殇

頭の中はしだい

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頭の中はしだい


大阪の夏は、暑い。
だが関東や中部の内陸部では、もっと暑いところもあるようだ。最高気温が39℃を超えるとは、どれほどの暑さなのか想像もつかない。33℃くらいの大阪の暑さは、まだましなのかなと思わなければならない。
それでも暑いことにはかわりなく、とにかく暑い。

松竹座の七月大歌舞伎の招待券をもらったので、道頓堀まで出かける。
歓楽街はどんなに暑くても人が溢れている。そこはいちだんと太陽に近いような気がする。まばゆくて暑い。おまけに熱気が滞留している。大きなカニが中空を踊り、メガネの人形が太鼓をたたいている。人々は嬉々として踊るように交錯する。まるでお祭りのようだ。
道頓堀はかつては浪花五座といわれ、5つの芝居小屋が集まって賑わっていたらしい。いまでは松竹座とすこし離れたところに文楽劇場があるだけになり、界隈はもっぱら食い倒れの食べ物の街になっている。

芝居の世界に入れば、そこはもう時代をこえる。
平家全盛の世。平安時代末期の公家・一條大蔵長成は、曲舞にうつつをぬかす阿呆と噂されている。その奥方は絶世の美女。かつて源義朝の愛妾であった常盤御前なり。
一條大蔵長成を演ずるのは片岡仁左衛門、常盤御前を演ずるのは片岡秀太郎。関西歌舞伎の人気のふたりが熱演する。
阿呆を演じる仁左衛門が笑わせる。実は阿呆は仮の姿であり、本心を現わす姿との二面性に、芝居ならではの面白さがある。

さらに、義太夫の語りと太棹三味線の演奏が、よりいっそう劇的効果を盛り上げている。
この演目はもともと享保16年(1731年)に、道頓堀の竹本座で人形浄瑠璃として初演されたものだという。音楽的な声の響きと情感、義太夫狂言の熱狂した雰囲気が三百年の時代をこえて、人を陶酔させる。

竹本座、いや芝居小屋を出ると、そこは平成の世。
とつぜん真夏の夜の熱気と人いきれに襲われる。巷では源平の戦いが今もひそかに続いているようだ。手漕ぎの小さな舟になって、人の波を分けて進む。川はさまざまな電飾の明かりを溶かして輝いている。川岸を行く若くて元気な美女たちばかりがライトアップされる。ぼんやり見とれていると、妖しい呼び込みの手が誘いにくる。
連日の熱帯夜の睡眠不足で、頭の中はしだいに阿呆の沸点をこえていく。

どこかへ行こうとしているのか、それとも帰ろうとしているのか。
……この世の名残、夜も隱形牙箍名残、死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ……
虚実皮膜の間を漂う心地よさに、いつしか溺れていく。
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